健康について 暮らし環境全般において私達はある意味化学物質に守られています。蛇口をひねれば出てくる水に何も疑うことなく、調理に使い、飲み、毎日トイレで使って下水へと流す。洗濯をしてお風呂やシャワーで水を使いそれも下水へと捨ててしまいます。一連の水道水利用の流れや、その水の内容に私達は何のためらいも無く、そしてそれを疑うことも無いままに暮らして来て、こうしている今も誰かが炊事や洗濯、トイレで水を使っているのです。 その水の出所を私達京都市民はお隣の琵琶湖に籍を置いているわけです。反対側にあるお隣、大阪の市民は淀川をその命の水としているわけです。 水道の水は人々が病気にならないように、汚れを取り除き衛生基準値をクリアーするように薬を使うわけです。源流の水が汚れていればいるほどに多くの化学物質が投与されています。汚しているのは誰でしょうか、琵琶湖では琵琶湖県民ということになり、淀川では、京都市民と言うことになります。降り注ぐ雨、湧き出でる地下水そして川へ、その水は人間にはもちろん、生きるものすべてのための養い水であるはずです。その水を使うことは、地球上に命あるものすべてに与えられた権利なのです。水は片時も止まることも無く、川から海へ、海洋を数万キロの旅をしつつやがて軽くなった体は一塊の気団となって、まるで天に昇る天使のごとく、地上の不浄、人々の煩悩を体に包み込みながら上昇していきます。人々が上昇するその命の形や大きさを知っていたときには、その塊の中に含まれる汚染物質という煩悩の行く末は小さく、地上に再び戻るときには浄化されて戻ってきてくれていました。しかし今は違います。 その気団が大気の移動とともに、流れそして冷やされて雨や雪となって地上に舞い戻ってくる、その時間は約12日間で大気中の水分が入れ替わっています。これまで私達は、本来すべてのものに与えられた水の権利を我が物顔をして使い、使った水を川に流してきました、そのおかげで川は排水路と化しそれに対し何も感じずに過ごしてきました。 むやみに埋め立てられた廃棄物からは有害な物質が流れ出し地中深く浸透し、土壌の浄化の強要範囲を超えるその汚染された水がめぐりめぐって私達に返ってきています。 必要以上の食料を作り土地をやせさせ、汚染し、雨にうたれた土壌からは汚れた水がまた地中へと浸入していく、そして私達に戻ってきています。湧き出てくる水、それを使うことが出来るすべての生き物に与えられた権利であるはずなのに、それが履行できない物に変化している場合も多くあります。 人はいつから水が自分たちだけに与えられたものと勘違するようになったのでしょうか? 今、改めてその水のことを知る事が求められています。水を守ることは地球を守ること、私たち自身の健康を守る大きな手段なのです。 経済について 終戦直後の日本人は敗戦のショックから立ち上がるために形相を変えて行動を起こしていきました。高度経済成長に入る前の写真を見ると当時の日本人の子供たちの目が貧しい暮らしとは逆に今では見られないような生き生きとした目をしているのを見ることが出来ます。それは経済的に貧困で現代のように衣・食・住すべてにおいて満たされている状態ではなく、冬の寒さ、夏の暑さを否応無しに全身で感じさせられ、その変化に耐える厳しい生活が動物として自然に対応できる人を作り、それが生きると言う意味をより明確にしていったように思います。結果子供たちは生きることを前提としているため目の輝きがあったのではないでしょうか? 闇雲に働くことが、先進国の仲間入りをすること、アメリカから流れる情報は大きな冷蔵庫に詰め込まれた食料、一家に二台の大きな車、その車で日曜日には家族でドライブをして、レストランで食事をする。大量消費が経済を引っ張る、使い捨て時代、インスタント時代は日本の先進国入りを示す指標とされていた時代、その事を誰も疑わなかった、早く、一日でも早くアメリカのような生活をしたいそれだけだった。 その反面アメリカへの同化、アメリカへの半永久的な傘下を嫌う若者たちは、自らの考えを学生運動という形で表現して行き、各地で激突をしていた時代でもあった。 無力感、失望感、かつて若者たちが持っていたある意味での国への反抗心は消えうせ、平和ボケとまで言われる今の日本、不況の風は今年も続いて吹き、先の見えない混沌とした時代の中で苦しみつづけるこの国を救うことができるのは、子供たち、若者たちが元気な姿ではないだろうか。 つづく |