この原稿の締め切りが8月15日、お盆の最中ということで思い出した。お盆が終われば地蔵盆というのがある。詳しく調べてはいないので断定できないが、地蔵盆というのは京都に特有のお祭り、行事らしい。地方からきた友人たちはおしなべて京都にきて初めて地蔵盆というのを知ったという。そこで京都生まれの京都育ちの私としては、地蔵盆がどんなもので何をするのか説明してあげたいのだが、上手くそれができない。というのも私自身、子どもの頃に地蔵盆に行ったこともなければ、町内のお手伝いをしたこともないからである。
なぜそうなのかというと、理由は大きくふたつ。私の家がいわゆる日本人の家庭でないというのと、それ以上にクリスチャンの家庭だからいうことである。今では日本の伝統を重んじ、尊重する両親だが、私が子どもの頃は戦前生まれの両親(といっても父は終戦の7年前、母は1年前の生まれだが)は教育上、日本(人)的な生活様式を拒んでいたようにさえ思う。加えて、改めて考えてみると、日本(人)の生活、行事には宗教に根ざしたものが多い。お宮参り、七五三、神棚、盆踊り、そして地蔵盆など例を挙げたらキリがない。これらは唯一神を信じるキリスト教徒、あるいはイスラム教徒からすれば、悪くとらえれば節操のない宗教観に映る。信仰深い両親からすれば日本(人)的なものを受け入れようにも宗教つきで受け入れるわけにはいかなかったのだろう。
さすがに両親のように深い信仰を持たない私ではあるが、お宮参りや七五三、節分など子どもの行事に参加しながらも、やはり他宗教への違和感を感じずにはいられない。それらの行事を宗教行事としてではなく日常生活のひとつとしてとらえている多くの日本人あるいは非クリスチャンからすれば理解しがたい話であろう。
8月15日は終戦記念日。政府閣僚や総理大臣が靖国神社へ参拝するかどうか、そして中国や韓国がどのような反応を見せるかがマスコミの関心事となる日でもある。私は靖国神社参拝反対などと政治的な話をする気は全くない。ほとんどの日本人が当たり前のように考え行っている日常の行事であっても、私のように違和感を持ちながら生活をしている少数の物がいるというのを知ってほしいだけである。
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