6月第一例会 EMCアワー |
5th Jun 2002
渡邉 公生
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今期の締めくくりとして、また十五周年の締めくくりとして持たれたこの例会は、一年を象徴する形となって現れた例会だった。
「20周年を視野に入れこの十五周年を考え、次に提案をして欲しい」との毛利会長の意思を森委員長が受け、その旗手となって活躍された一年、その活動が結集されるはずの例会だったが、七人のメンバーの話す内容は、それぞれの持論を話すに留まった感がした。 YMCAとは何か、ワイズとは何かを語る前に、役員も一メンバーもそれぞれの立場で考える時、ワイズのものさしでの考えをまとめる必要がある。 例会や、委員会、また各事業において行動すべきものが基本はそのものさしでなければ、こと有る事に方向性が変わって行ってしまう、(時には個人的志向に走る場合がある)現段階においては、メンバーそれぞれが持っている物差しで行動されているのが浮き彫りにされた一年であった。 ワイズのものさしでがんばっても一年、がんばらなくても一年、それは最終的に自分の身に返ってくるものなのである。(これは仕事でも同じ事が言える。) 最後に、ワイズで教えてもらった事の一つを紹介して終わることにする。 「今ある姿は過去の積み重ねであり、未来の姿はこれからの行動による」 |
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2002年6月8日(土)午後1時よりグランウ゛ィア京都に於いて千名余のワイズの出席のもと、第5西日本区大会が挙行された。我プリンスクラブからは、19名の出席があり、大いに大会を盛り上げたのではないかと思います。 午後1時開会、一通りのセレモニーの後、吉本理事の開会点鐘2年の長きに亘り、西日本区のリーダーとしてのご苦労に対し、ただ感謝あるのみです。 昨年の鹿児島での大会のとき様な、悲壮感漂う雰囲気ではなしに、安堵感溢れる大会になったこの状況にワイズ一同ホットしたのではないでしょうか。大勢のワイズの輝いた顔を拝見させて頂いて、大変嬉しく思ったと同時に、来年の西日本区大会では自分自身が、輝いているかどうかチョット不安になりました。 西日本区では理事を始め各役員の引継が無事終了しましたが、これからプリンスクラブは引継です。 毛利会長一年間お疲れ様でした。そしてありがとうございました。 ![]() |
第5回東日本区大会は、DBCを結んでいる沖縄しぃ〜さぁクラブと那覇クラブが、ホストということもあって、毛利会長、杉浦Y's、鈴木Y's、岡西Y's、森夫妻の6人で参加しました。 東日本区大会に参加するのは初めて、日頃東日本区のクラブとの交流も少なく、お互いの違いがよくわかり、東日本区のメンバーは高齢者が多い割りには元気だなぁと感心しました。 1日目のパーティー終了後、沖縄しぃ〜さぁクラブのメンバーと交流を持つことができ。 2年半ぶりの再会を喜び合いながらも、沖縄しぃ〜さぁクラブが力強くなられたことを感じ、是非、京都へ来てくださいとのお誘いもできました。 ![]() 翌2日目は、大会終了後、妹尾さんと本間さんが地モティーならではの好場所へ案内していただき、潮の引いた水溜まりに熱帯魚を見つけて、全員ヤンヤヤンヤの喝采でした。 いつもの事ながら、妹尾さんには大変お世話になりました。沖縄しぃ〜さぁクラブの皆さん、ありがとうございました。 東日本区大会が毎年沖縄で開かれたらいいのになぁと思いながら帰りの飛行機に乗り込みました。 |